コウシュハウンカイ(牡8)やカネサブラック(2011、13年ばんえい記念)、トモエパワー(2007~09年ばんえい記念)などの名馬を管理し、2017年5月には通算1000勝を達成。2016年ばんえいアワードでは勝率1位でベストトレーナーに選出され、今年もリーディングトレーナー争いを続ける松井浩文調教師(53)に話をうかがいました。
左のポスターに写っているカネサブラック、トモエパワー、フクイズミは全て管理馬
父が元調教師の松井浩(こう)さんで、1989年に騎手デビュー。2004年に引退するまで1104勝をあげ、三冠馬で名種牡馬であるウンカイに騎乗していました。残念ながら10月に24歳で息を引き取ったウンカイの思い出を聞かせてください。
ウンカイは、地味だけどじわじわと歩くタイプ。3歳三冠を獲ったけれど、イレネー記念はゴール前で止まったんだよな。4歳のシーズンが終わってから、盲腸便秘で腹を切ったんだ。それであそこまで活躍するとは。おとなしい馬だった。障害は、止まったら意外と下手だったんだ。だからばんえい記念も苦戦した。アンローズ(2004~06岩見沢記念)と同じように、旭川や岩見沢はよかったけど、帯広が苦手だったんだ。
産駒は体ができていて、平均的に力がある。コウシュハウンカイはタイプが違って、どちらかといえばオレノココロの方がウンカイらしさが出ているかも。ばん馬で20歳以上生きるのはすごいよ。
似ている産駒はいますか。
ジェイエース(牡2)がタイプ的に似ているな。速い馬場が苦手で、降りてからは平均歩ける。2分以上かかるようなレースが増えるような、年齢が行けば活躍できるかな。
ほかに騎手時代の思い出の馬を教えてください。
牝馬でダイヤコトブキって馬がいた。騎手になって2年目だった1990年のイレネー記念を獲った馬だが、その後のオフシーズンに心不全で亡くなったんだ。あの馬なら、ばんえい記念を獲れたと思う。
それから調教師に転身しました。
一番の理由は、父が定年(65歳)を迎えたからです。減量もきつくなってきたしね。2005年に調教師になって、2年目で存続の危機が訪れた。厩舎を開業した時の設備投資のすぐあとで、お金がかかったあとに手当も下がって大変だった。他にできることないから、これで頑張るしかない。赤字だらけで大変だったが、存続してよかった。
2017年5月、1000勝セレモニーで父・松井浩さんから花束を渡される
思い出の管理馬を教えてください。まずはトモエパワーでしょうか。
4歳までは騎手として乗っていました。速い脚はなかったが、2歳から強かった。この馬はオープン行くと思っていたよ。最初のばんえい記念は、障害で止まって膝を折ったのに、それでも勝ったからね。ばんえい記念向き、という思いはあったが力が違った。
トモエパワーのほかにも、乗っていた馬が厩舎に入ってきた。そのうちの1頭、フクイズミ(2009、10帯広記念)は偉い牝馬だった。降りてからの末脚がすごかったね。厩舎に来た時は4歳で体もできていたが、障害で上がらないと、そのまま止まってしまうところがあった。どうやったらいいのか、いろいろと試した思い出がある。
カネサブラックは、力はないが瞬発力がすごかった。根性もあった。重い荷物を引かせて調教するとだめだから、大変だったよ。この時も考えた。
所属していた全部の馬が、いろいろなことを教えてくれた。調教すればいい馬もいれば、だめな馬もいて、一頭一頭違う。それがわかるまでが大変だよね。
連対率は3割を越えるなど今年も好成績を残しています。調教や管理において、こだわっていることを教えてください。
俺は馬に触る(自分で調教する)。触ってみなきゃだめ。レースを見たあとに、なんでこんなに障害が下手なのか?と思ったら、自分でやってみる。触るの好きだからね。
厩務員は4人いるよ。厩務員と仲良くなかったらうまくいかない。大切にしなくてはいけないところだ。でも、人集めが大変。ばん馬が盛り上がって賞金も上がって、馬はいるんだけど人がいない。一時期は人がいても、馬がいなかったのに。募集しているのになぁ。
馬が1着を獲った時の気持ちに勝る物はないよ。
調教師として思い出のレースを教えてください。
いろいろあるけど......(考えて)、カネサブラック最後のばんえい記念かな。その前の年は(コロナウイルスに罹って)出られなかったから。定年最後の年(11歳)を勝って、重賞21勝という記録を作って引退だからね。
ばんえい記念を2度制して引退したカネサブラック
カネサブラックの子もカネサダイマオー(牡3、イレネー記念)などで重賞勝ちを出しています。産駒についてはいかがですか。
体は小さいけど、走る子が出できたね。もっと強い馬が出てきてほしい。
現在の所属馬について教えてください。
コウシュハウンカイは、今年は前半活躍しすぎたから、ハンデを背負うことになるのがつらい。体調はいいよ。降りて一回止まったら弱いところあるな。岩見沢記念は、レースの前々日につなぎ場の棒を蹴ったことによる打撲。すぐ治ったから調教も再開できて、北見記念を勝つことができた。調教では、オレノココロやフジダイビクトリー、センゴクエースを見かけると怒るんだ。いつも同じレースに出ているからわかるんだろうね。気性は昔と変わらないね。
コウシュハウンカイの運動
マツカゼウンカイ(牡4)は、じわりじわりと進む馬。体があるし、古馬オープンでも入着しているから、ペースに慣れてくればそこそこいくんじゃない。
ギンノダイマオー(牡2)は、ナナカマド賞は1着馬(メムロボブサップ)が強すぎた。それでも、障害がうまいから楽しみ。インビクタ(牡2)は障害を降りてからが課題だね。カネサダイマオーは、イレネー記念を勝った後は調子悪いんだわ。堪えたかな。
期待しているのは、ハイトップフーガ(牝2)。重くなれば楽しみです。
では、オッズパーク会員の方に一言お願いします。
馬券買う人は買って、馬が好きな人は馬を見て、いろいろな形でばんえいを応援してください。ファンは一人一人違うからね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
今年2月にばんえい競馬で5人目となる通算1500勝を達成した鈴木邦哉調教師(64)。ばんえいイベントではPR馬のミルキーとともに各地を訪れ、広報役としても尽力されています。
通算1500勝達成表彰式(左から3人目)
ばんえいの世界に入ったきっかけを教えてください。
出身は、岩手県遠野市です。中学を出てから「馬車追い」という、馬で山を耕す仕事をしていました。2年くらい経ってから、北海道にはばんえい競馬というのがあると聞いて、馬の本場に行くことになったんです。
1978年に騎手デビューして、弟の勝堤と2人で騎手をやっていたけど、弟の方がうまかったからなぁ。俺は1987年、32歳で調教師になったんだ。ずっと兄弟で二人三脚だよ。
思い出に残る馬を教えてください。
たくさんいるよ! 強い弱いにかかわらず、携われるだけの思い出がある。大きくなかったが強かったスズカゲ(1996年北斗賞、北見記念)や、3歳になって強くなったダイフジオーカン(1996年ばんえいオークスなど)もいたし。
私にとってはミサキスーパー(2004、05年チャンピオンカップなど)の印象が強いです。
うん、しいて言えば、小さな体で頑張ってくれたミサキスーパーかな。市場で自分で見つけて、馬主に買ってもらって育ててきた馬。首の長さとか、顔の良さに惚れたんだな。ピンと来るものがあるんだよ。言葉で表せないけど、違うものがある。体重がないからデビューも遅かった。でも能力はあるから、上に行くと思った。
残念ながらばんえい記念は3年連続2着(2004~06年)でした。
スーパーペガサスって怪物がいたからな。レース終わってから勝堤と「ああしたら勝てた」なんて話したけど、全て結果論だから。馬体がなかったから、苦労して育てた。
種牡馬としては1世代しか残せませんでしたが、厩舎に所属していたテンカムソウが種牡馬入りしました。
今年初年度産駒が生まれた。結構いい馬を出していると聞くから、再来年が楽しみ。テンカムソウの子も、いつか自分でやってみたい。
そのほかの馬では。
クシロキンショウは、ウンカイに勝った1997年のイレネー記念の時は899キロ。小さな体だけど、大事に大事に使ってきた。
昨年引退したオイドンは良血で、エリートだったな。大きな夢を見させてもらった。ハンデもきつかったけど、ばんえい競馬が一番苦しい時を支えてくれた。お客さんに知られた馬だから、いいPRにもなったと思う。獲ってみたかったダービー(2011年)も獲らせてもらったし、よく働いてくれた。喘鳴症に長い間苦しんでいて、かわいそうだったな。
これからだと、2歳はトマランサジェットがいいかな。来年、再来年にも期待できそうな馬がいるよ。
ナナカマド賞を制したオイドン。右端が弟の故・鈴木勝堤騎手(2010年10月11日)
今年2月には、1500勝を達成しました。大事にしていることはなんでしょうか。
気を付けているのは馬の体調維持。生き物は十人十色。人に一癖、馬に一癖、ってな。そして、馬を長持ちさせて、定年まで育てたい。今の時代は難しいところもあるけれどな。
1500勝できたのは、2006年にばんえい競馬の存続が決まった時、周りの人たちの協力があったから。存続しなかったらない。寝ないで会議してくれた人など、いろいろな人が一生懸命になってくれたおかげで、開催にこぎつけた。この時の思いを忘れてはいけない。
一番はファンのおかげ。そして厩務員、騎手のおかげだと思っている。これらの努力に報いるため、全国をまわって広報活動させてもらっている。
その姿に頭が下がります。
できる間は、地方に行ってばんえいはこういうのだ、と知ってもらった方がいいと思うから。地方行ったら励みになる。いつ行ってもありがたい。忙しいと思ったことはないよ。
でっかい馬はここだけだから、世界で一つの変わった競馬をなくしたら困る。ばん馬がつぶれる、って言葉はまた聞きたくない。ファン1人1人を大事にしないと。
よく服部義幸調教師ともいうんだ。「10年かかったなオイ!」って。PRを続けてここまで来るのに、10年かかったということ。花は咲いたといかないけれど、根は張ったと思う。年々ファンが増えているのを肌で感じる。
ミルキーは今療養中ということでふれあい動物園におらず、心配です。
ばい菌が体に入って熱が出ていた。だいぶ良くなったよ。ゆっくり休養させます。
さて、趣味などプライベートについて教えてください。
趣味はゴルフ! 忙しくてなかなか行けないから、下手になるな(笑)。食べ物は肉とケーキ! とんかつなら帯広の我逢亭が好きだし、焼き肉のだいじゅ園(帯広・音更)はいい肉を出すよ。ケーキは、羽田空港で売っているのと、柳月(帯広)のフルーツロールが好きなんだ。帯広は食べ物に外れがないと思うよ!なんでもおいしい。
岩手県でチャグチャグ馬コにも参加(2018年6月9日)
これからの目標について教えてください。また、オッズパーク会員の方に一言お願いいたします。
もう一回、オープン馬を触ってみたいな。目の覚めるような馬に出会いたい。できればテンカムソウの子で。
ファンの方には、馬券を買って、応援してもらいたい。みんなのおかげで今がある。全国からだと遠くて大変だけど、足を運んでもらえたら。
魅力は、エキサイティングゾーンで馬と並んで歩けるところ。重量感ある馬の力強さを間近で見られるのはここしかない。川崎競馬場に行った時に、ファンに「ばんえいは配当がいいからおもしろい」って言われたな。
ファンに愛される競馬じゃないと。ファンの協力がないとできない競技なので、後押しを続けていただければと思う。今までの努力をなくすわけにいはいかないんだ。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
『ばんえいアワード2017』のベストトレーナー賞を受賞した、槻舘重人調教師(57)。ばんえい記念を連覇したオレノココロや4歳三冠馬のセンゴクエース、マルミゴウカイなどを管理し、2017年度は重賞25レースのうち11勝を挙げています。通算1111勝(5月18日現在)、重賞は48勝と50勝まで王手をかけています。
ベストトレーナー賞、おめでとうございます。
思った以上に馬が一生懸命走ってくれました。今年もチャンスがあれば、一つでも多く獲りたいですね。
管理馬について教えてください。ばんえい記念馬オレノココロは2年連続のばんえいアワード「ベストホース」に選ばれました。
ありがたいですね。オレノココロは真面目で力持ちな馬です。開幕日の特別戦は脚を痛めて除外になりましたが、症状は軽くその後は順調です。翌週のオッズパーク杯は5着でしたが、どうしても春先はペースが速いから、重い荷物に慣れているこの馬には不利になる。障害で膝を折る不安もあるしね。
センゴクエースは年齢的に、昨年よりも重賞挑戦が増えるでしょう。障害を一気に抜けられるレースが理想。母のサダエリコの厩務員さんが今年から担当しているんだよ。
オレノココロ(2018年3月25日ばんえい記念)
5歳になったマルミゴウカイは、古馬ともいい戦いをしていますね。
まだ荷物が軽いとはいえ、想像以上。気性が勝っているし、センゴクエースよりも障害がいい。馬体もこれから大きくなるだろうし、重いレースに慣れてきたら、引けを取らなくなるんじゃないかな。重賞挑戦はどうかな? 狙うとしたらドリームエイジカップ。6月に5歳オープンの特別戦・瑞鳳賞があるので、そこでいい結果を出したいです。黒ユリ賞馬のミスタカシマも順調です。きれいな馬だよね。そのほかだと、ジェイコマンダーは降りてからの切れ味がいい。まだ勝ちきれないけれど、これからだね。ジェイワンも、力はあるんだろうけど、飼い食いと迫力がもう少しかな。
さて、出身は岩手県二戸市ですね。
競馬場で騎手をしていた兄を追って、中学を出てすぐ競馬場に来ました。
晴披孝治厩舎で20年近く厩務員をして、いろいろといい馬を担当させてもらいました。中でも思い出に残っているのはカヤベヒカリ(オイドンの祖母)。小さくて、930キロくらいだったはず。ゲート開いてすぐにキャンターで走れずスタートはゆっくりなのだけど、第2障害の手前で他馬と並べば、障害を降りて強い。全身バネのようでした。
ヤマトウンリュウという馬は、そろそろばんえい記念に出そうかな、というところで疝痛で命を落としてしまった。今でも残念に思っています。
マルミゴウカイ
そして1999年に開業しました。
騎手になりたかったけれど怪我をしてしまったので、晴披厩舎の解散後2、3年後に引き継ぐかたちで開業しました。
最初に在籍していたのはホワイトキャップ(2001年北斗賞など)。デビューから管理して活躍した馬にはミサイルテンリュウ(2006年帯広記念など)がいます。ミサイルは若い時は病気がちであまりレースも使えなかった。
誰が、というのではなくどの馬にも教わることはあるよね。いつも勉強です。
大事にしているのは健康面。えさの食べ方で、調教の仕方がかわってくる。ミスタカシマは、デビューしてからえさを食べなかったので休ませたんだ。
それが今の活躍につながっているんでしょうね。
毎日、馬場に出る前の午前2時には、馬たちがえさを食べているか確認する。今は10時ころまで調教しています。
常識なんだけど、疲労を残さないようにしている。走る時疲れちゃうようではね。調教がある程度できていないと、馬に無理をかけるレースになる。
微妙な感覚っていうのかな。自分なりの経験を積んできたと思います。
先生から見て、調子のいい馬、というのはどのような馬でしょう。
うーん、調子が良くても、オレノココロみたいにパドックであくびをする馬もいるからなぁ(笑)。マルミゴウカイみたいに抑えきれないほど元気な馬がおとなしいと、どうしたんだろう、と思うけれど...。体重は減るよりは増えている方がいい。とはいえ、今年のばんえい記念のオレノココロはすっきりした方がいいと思って減らし、マイナス21キロだし。難しいね。
自分なら、うるさいくらい元気な馬がいいような気するけどな。調教もやりやすいし、手応えがあるんだ。
センゴクエース
先生は気性の勝っている馬が好きな印象があります。それにしても、ばんえい記念や三冠のかかるレースなどで人気を背負うことが多く、プレッシャーは相当なものと思います。どうやって打ち勝っているのか気になります。
プレッシャー、ないことはないけど...。ばんえい記念の日は他にも出走馬が多くて、緊張する暇がなかった(笑)。でもレースが終わってから1週間は疲れが取れなかったな。気が張っていたんだろうね。
レースをテレビで見るのもいいけど、厩務作業も楽しみながらやっています。長いこと厩務員をしていたけれど、自分が触っている馬が1着を獲ったり、いい方向に向かっていくのがいい。結果がうまくいくと、苦労も忘れて励みになります。
オッズパーク会員の方に一言お願いします。
最近は本州からの馬主さんも増えているし、全国にばんえい競馬が広まっているのを感じます。できれば本場で、馬と一緒に歩いてレースを見てほしい。真近で見る馬の迫力は全然違うから。十勝は温泉もたくさんあるし、食べ物も美味しいからね。
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※インタビュー・写真 / 小久保友香
現役通算3373勝を挙げたトップジョッキーで、昨年調教師試験に合格。今年度の開業を待つ大河原和雄調教師(57)に話を聞きました。
2017年11月27日第9レース、最終騎乗を終えて
騎手生活お疲れさまでした。調教師試験の合格は西弘美調教師以来8年ぶりで、久々となります。
ありがとうございます。調教師試験を受けたのは今回が初めて。馬学の本や医学書を読んで勉強しました。
今まで調教師の免許は1月1日交付だったから、試験に受かっても12月まで乗るつもりでいた。今年から12月1日交付に変更になっていてショックだったな。試験に受かってから手続きが忙しかったよ。引退セレモニーでは、家族や親戚が集まって、親孝行ができたと思う。
騎手の引退はいつ頃から考えていたのですか。
キタノタイショウが引退したタイミング(2017年3月)だね。ただ、調教師には2000勝した時点(2006年)からやりたいと言っていた。もともと育てながら乗るタイプだったから。調教師は、スタッフにしても馬にしても、自分で全て責任を持ってやらないといけない。騎手の方が、調教してレースにも乗れるから贅沢だけどね(笑)。
育成に定評がある大河原さんならではですね。それでも、いままで騎手を続けていたのはなぜですか。
一番はキタノタイショウがいたこと。長澤幸太騎手が競馬場に来た。鈴木恵介騎手も(自分と同じ)服部厩舎所属になったから。
長く乗りすぎた(笑)。体力的にも辛くなってくる。ケガ(2014年にアキレス腱断裂)もしたしね。
ばんえい記念(2015年3月22日)を制したキタノタイショウ
騎手生活で、心に残っている馬を教えてください。
やはりばんえい記念(2015年)を勝ったキタノタイショウだね。2歳から引退までずっと関わることができた。それは騎手として最高の幸せだ。
昨年命を落としてしまったが、種牡馬としては人気で60頭くらいに種付けしたと聞いている。最近のばん馬にしてはかなり多い。
道東の浜中町にいたけど、十勝や上川からも種付けする牝馬が来た(注:ばん馬の繁殖牝馬はその地域の種牡馬をつける事が多い)。
牧場でも、水たまりをおっかながったり、納得するまで動かなかったり、競馬場と同じ性格だったって。
最初の子は3月末くらいに弟子屈町で生まれる予定。一度はタイショウの子をやってみたいな。
リキミドリには競馬の仕方を教えてもらった。特にレースでの"待ち方"。自分の引退式の日に、自分が勝った重賞レースのDVDをもらったからリキミドリのレースを懐かしく見ていたよ。俺がしくじって乗っていても、勝っていたんだよね。馬がカバーしていた。馬を育てながら乗ることも、リキミドリから教えてもらった。
1985年に初騎乗初勝利したカツハルのことは覚えていますか。
覚えていますね。「やっと仕事が始まったかな」と思った。自分で調教してレースに乗った馬で、自信満々で乗ったんだ。「このメンバーなら勝てる」と、ワクワクした。印はなかったけどね。トラックマンに「山さえ上がれば勝てるわ」って言ったんだ。
すごい新人ですね。
厩務員4年やっていたからね。
引退セレモニー(2017年11月26日)。服部義幸調教師と
それにしても(笑)。今はどのような生活ですか。
忙しいよ。競馬場では、服部厩舎やほかの厩舎の若い馬の調教を手伝っています。
まだ馬房数が決まっていないので新馬登録はまだだけど、スタンバイしている馬が牧場にいます。看板も出来ている(笑)。
開催日はだいたい競馬場だけど、それ以外は馬主のところに行ったり、スタッフを集めたり、馬主に連れて行ってもらって馬を見に行くなど道内を訪れています。前、キタサンブラック見てきたよ。
門別競馬場で話を聞いたりね。スタリオンでも乗馬にしても、いろんなところにいって話聞けば、かなり刺激もらえるからね。いいと思ってこだわる人はやはり違う。もう一歩先、一歩先を目指している。
スタッフ集め、ですか。
サラブレッドの牧場にいた人が来るよ。珍しがって来るんだ(笑)。サラブレッドというより馬を知っている人。馬のことで、聞きたいことが山ほどある。今の競馬場は頭が固いから。
スタッフには「かわさん」と呼ばせている。「先生」って呼んだら罰金だ(笑)。
4月の開業に向けて豊富を聞かせてください。
調教師になったからには、たくさんのファンに愛される馬を作りたい。そしてばんえい記念に出せる馬を牧場で探し、作り上げたい。1年目は極力無理せず、やれることを確実にやろうと思います。試したいことは山ほどある。馬も、スタッフも。
幸太(長澤騎手)も「どうやって乗ったらいいかな」って聞くけど、「好きなように乗ってこい」と言う。アドバイスは小さいことだけするよ。騎手には乗った後に話を聞くね。俺はそっちの方を大事にしている。ハミはどうだった、とか。感じ方はそれぞれ違うから、言葉一つ一つが楽しい。騎手の能力を知りたいんだ。
自分に余裕ができたら、ファンに対しても自分でできることを協力できればと思う。使命だしね。騎手は騎手、調教師は調教師の指命がある。
今は、ファンへの発信が少ないよね。はじめてばんえいを見る人とキャッチボールができたらいい。スタッフもファンも含めて、投げた球を返してくれるかどうかなんだ。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)
藤本匠騎手が、8月26日ばんえい第7レースをドントコイで勝利し、デビュー35年目で、ばんえい競馬では前人未踏の4000勝を達成しました。2012年に「ミスターばんえい」こと金山明彦元騎手(現調教師)が持っていた最多勝利記録3299勝を塗りかえてから、自身の持つばんえい最多勝記録を更新し続けています。
4000勝おめでとうございます。その後変化はありましたか?
会う人会う人におめでとう、って言われました。4000も勝つくらい、騎手やっていると思わなかった。よく乗っていたな、って。
達成した日は3998勝で迎え、5レースをジーワンキングで勝利。8レースもコウシュハアレッポで連勝し1日3勝でした。この日は人気馬が多かったので意識していましたか?
後半開催だったから人気馬に乗ることはわかっていたけど、それより前半にいい馬が集まっていたのに2着ばかりで歯がゆかった。2着ばかりで、と思ったけれど勝つ時ってこういうものなんだよね。焦ってもどうにもならない。その馬のいい乗り方をするだけ。ただ、周りが「もう少しだね」と言ってくるから、早くすませたかった(笑)。
ジーワンキングは強い馬がいたがよく勝ってくれた。ドントコイは、前でためて障害を切り、末脚にかける馬。それがうまくいっていいレースだった。ほっとした、馬に感謝です。
8月26日第7レースで通算4000勝を達成
7月29日8レースのレインボーライデンでの勝利がちょうど3万回騎乗でもありました。
怪我なく乗れたのが一番だと思う。4000勝できたのも感謝だが、3万回乗せてもらえたのが騎手としてありがたい。勝てる可能性のある騎手を乗せる、という世界だから。
勝てる馬に乗せてもらうのが大変な世界。昔は、金山(明彦)さん、久田(守)さん(いずれも現調教師)など、個性的な騎手がいっぱいいた。特にハミの扱いがうまい。レースの後ビデオを見たりして、どんどん吸収できた。そこから技術を盗んだりして、引き出しを調教師や馬主に信頼してもらい、乗せてもらった。金山さんの現役時代は、12月で開催が終わっていた。1日の最大騎乗数も6回(今は7回)だし、今の時代なら、金山さんはとっくに4000勝してたんじゃない。
今まで、大きな怪我がないですよね。
特に何もしていないんだけど......。食べ物の好き嫌いはないな。釣りにゴルフ、気持ちを切り替えているかな。温泉も行く。ここ2、3年は調教の前にストレッチはするけどね。怪我するのが嫌だから。
厩舎にいると規則正しくなるよ。ナイターだと9時に終わって風呂入ったら、10時半には眠くなる。次の日、朝5時には調教。休みの日も同じような生活になるよ。
JRAジョッキーデーで、JRAの勝浦正樹騎手をミサキセンショーで勝利に導いた時も普段のレースのように追っていました。イベントでも本気の追いっぷりが気持ちいいです。
勝浦が勝ったことないっていうから(笑)。勝浦騎手も、自分で追っていたよ。一人でも乗れると思う。
期待の馬について教えてください。
ハマノダイマオー(牡2)はハナ走るし、障害がいい。父のハマナカキングはスピードタイプで、血統的に降りてからの脚がいい。
センショウニシキ(牡3)は体ができれば面白いと思う。
コウシュハウンカイ(牡7)は、いつも(1シーズンに)重賞を1つしか勝てないんだよな。獲れそうで穫れないんだ。ばんえい記念は、もうひとパワーつけば楽しみだね。
マルミゴウカイ(牡4)は、古馬と戦うことになる来年、今のオープン馬相手にどこまでやれるかだね。成長していけば楽しみじゃない。
ばんえい十勝オッズパーク杯をコウシュハウンカイで制覇
今後の目標は。
もう55歳だし、1年1年事故なく、病気なく毎日乗れるようにしたい。「もう少し!」「負けて悔しい!」という思いをしているうちは、騎手をやりたい。
騎手も世代交代をしていかなくてはならないから、今後のことも考えるようになってきた。4、5年前の賞金なら調教師になることは考えられなかったが、売り上げが良くなってきたから、この世界にずっといるのなら調教師になることも考えなくてはいけない。ただ、騎手をやりたいという若者がいないからね。今の賞金なら、騎手になってもやっていけると思うんだけど。
騎手の魅力はなんでしょうか。
3日間競馬場に缶詰めだし、厳しい規則もある。それでもやるのはなぜかというと、収入もあるけど、馬が好きではないとやっていけない。好きな仕事ができて、稼げて、というのができる人はなかなかいない。ありがたい。勝てない時は辛いが、好きでやっている世界だから、辛いと思ったことはない。馬も好きだけど、騎手って仕事も好きだよ。負けたらどうやって次勝つか、調教や乗り方を考え、それがうまくいくと楽しい。
最後に、オッズパークの会員の方に一言お願いします。
インターネットで購入している方というのは帯広から遠い人が多いのかもしれない。でも、迫力があるからぜひ生でばんえいを見てほしいです。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香・小久保巌義)