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馬券おやじは今日も行く(第3回)  古林英一

昔の馬券

 先日、1962年から今日までばんえい競馬にたずさわってこられたKさんにお話をうかがう機会があった。ずいぶん多くの興味深いお話をうかがうことができたのだが、そのなかから、今回は「馬券」についてご紹介しよう。

 Kさんが主催者協議会という団体に就職された1967年当時は、すでに、今と同様、1日12レースが組まれていたという。発売業務担当の職員さんたちの仕事は、まず、予想紙を見ることからだったという。予想紙をみるのは、職員さんたちが馬券を買うためではないことはいうまでもない。「窓わり」という作業のためである。

 当時の馬券は買い目ごとに窓口が設置されていたのである。たとえば「3-6」という馬券を買いたければ「3-6」の窓口に並んで馬券を買うわけだ。買い目が3つなら、3つの窓口に並ぶ必要があるわけだ。したがって、客は、今のように、何十通りもの買い目を購入することはできない。とはいえ、いつでも1点勝負というわけにはいかないから、たいがいの客はいくつもの窓口を渡り歩いて馬券を買うことになる。限られた時間内でいくつもの窓口に並ぶわけだから、客もさぞ焦ったことだろう。それぞれの窓口で発売する買い目は一通りだから、「何を何枚」という必要はなく、「3枚」とか「5枚」といってお金を出すだけだ。だから、3-6を買うつもりで間違って2-6の窓口で馬券を買っても、間違って買ったことに気がつかないことも結構あったようだ。

 「窓わり」というのは買い目ごとに窓口を配分する作業のことだ。職員さんは予想紙をみて、人気しそうな買い目の窓口は多く、人気薄の窓口は少なくするのである。その頃はオッズなんぞというものはない。客の方も、窓口に並ぶ人の数をみて、オッズの見当をつけるのである。

 小生、この当時の配当計算はさぞ大変だったろうと思っていたのだが、Kさんによるとそんなに難しいことはなかったとのこと。当時、ばんえいの馬券は100円券だけで、100枚で1冊になった馬券綴りがあった。全部売れた馬券綴りの束がいくつあるかをカウントし、さらに馬券が残った束は100マイナス残った枚数で売れた枚数がわかる。それを全部合計すれば売得金額がわかるわけだ。だから、発売終了後、発走前までの数分間で売上の集計はできたという。後はレース終了後、所与の算式に基づいて配当金を割り出せばいい。

 もっとも電卓なんぞという重宝なものはまだなかったので、売上高の集計はすべてそろばんだ。そろばんはばんえい競馬職員の必須技能だったようで、Kさんより15年ほど後輩にあたるMさんも就職試験の際にそろばんがあったという。

 馬券は「ミシン」と呼ばれる穿孔機をつかって、券に買い目を記していた。ミシンは木箱に収納し、開催ごとに各場を持ち歩いたという。買い目の穿孔もコツがいり、1束(100枚)を一気に打ち抜くことはできず、いくつかにわけで穴をあけたようだ。失敗して、ミシンの針を折ってしまうということもしばしばあったという。

 Kさんの記憶によると、ミシンは15台くらいあったとのことだが、実はこのミシン、今も北見競馬場の倉庫(?)に残されているのである。小生、昨秋、試しに使ってみたところ、ちゃんと穿孔することができた。

 この頃を思えば、今の馬券はほんとに便利だ。便利だからといって的中率が上がるわけでもないのだが……。

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